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明治12年の錦絵に見る湯元温泉
レジャー

●明治12年の錦絵に見る湯元温泉

 錦絵とは、江戸時代の明和-めいわ-2(1765)年に鈴木春信らによって開発された多色ずりの木版画。西洋の印刷技術が普及するまで明治時代に入っても、しばらくは日本が誇る唯一のカラー印刷技術だった。
 明治12年に印刷されたこの『野州二荒山温泉之図-やしゅうふたらさんおんせんのず-』には、朝香楼芳春画、画工・東京府浅草区の生田幾三郎、出版人・日本橋区の荒川藤兵衛、売弘人・日光の小林次郎の名前がある。売弘人とは販売者だろうから、湯元を訪れた湯治客向けのみやげ品だったのかもしれない。
 湯元温泉の歴史は、延暦-えんりゃく-7(788)年に日光山の開祖、勝道上人-しょうどうしょうにん-が、ここで温泉を発見したことに始まる。その温泉を薬師湯-やくしゆ-(瑠璃湯-るりゆ-)と名づけた。その後、弘法大師が観自在湯-かんじざいゆ-を開くなど、次々に新しい温泉が発見された。
 錦絵の題名にあるように、湯元温泉はもともと二荒山温泉と呼ばれていた。温泉はすべて混浴の共同浴場で、むかしは旅館の内湯ではなかったことがわかる。錦絵には鶴湯-つるのゆ-、河原湯-かわらゆ-、純(鈍)子湯-どんこゆ-、中湯-ちゅうゆ-、滝湯-たきゆ-、姥湯-うばゆ-、御所湯-ごしょゆ-、笹(篠)湯-ささゆ-、自在湯-じざいゆ-、荒湯-あらゆ-の10か所の共同浴場が描かれているが、これらを湯守-ゆもり-と呼ばれる人たちが管理していた。すでに荒廃したのか、錦絵には勝道上人が開いた薬師湯が見えない。
 描かれている温泉宿名は10軒。2〜3軒を経営する宿があったようだ。宿のほとんどは2階建で、1軒だけ3階建。
 錦絵の魅力は、当時の風俗が見えることだ。ほとんどの人が、まだ日本髪である。女性で洋髪はまったくなく、男性は6人を除いてチョンマゲ。長い警棒を持つ巡査、弁髪-べんぱつ-(中国清朝の髪形)の中国人、山高帽に洋装(黒髪だが鼻が高いので西洋人かもしれない)の男性の姿が目を引く。



(栃木県立図書館資料より)



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