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| 文化財の修復に捧-ささ-げた人生─吉原北宰さん(日本画家) |

吉原さんの仕事は昔の技術を再現しながら、修復のための下絵を描くこと
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日光の文化財の修復を続ける吉原北宰-よしはらほくさい-さん(1927〜98年)は、栃木県今市市-いまいちし-の出身。今市は、日光の玄関口にあたる。
「子どものころ、体があまり丈夫でなくて、狩野派の画家の家によくおじゃましていました。そこで遊んでるうち、絵が自然にうまくなったんです」
狩野派の流れをくむ日本画家の吉原さんが、先達-せんだつ-の絵や彫刻の修復を手がけることになるとは、まさに奇縁。
「修復作業でわかったことですが、東照宮のものは、彫刻で下地から数えると35工程、彩色も35工程かけています。だから毎日、日の光にあたっても剥落-はくらく-しづらいんです。それと、意外に思われるでしょうが、色は7色しか使っていません。日光の紫外線の乱反射で、何千色も使っているように見えるんです。朝日があたると緑青-ろくしょう-が、昼の光で朱-しゅ-が、夕日で群青-ぐんじょう-が際立ってきて」
歴史に残る丹念な仕事を見てきた吉原さんの目は厳しい。ある著名な日本画家の新作を見て、「1年後に剥落するよ」と知人に耳打ちしたところ、やはりはげ落ちた。
「祖先が残してくれた技術はすばらしいものです。しかし、それがどんどん風化していく。技術を伝え続けるのが後世のわれわれの役目なのに、後継者がいないなんて残念でなりません」
この言葉を裏打ちするように、吉原さんは15年もかけて、忘れ去られた東照宮の彩色法の1つ、密陀絵-みつだえ-を解明・復元している。密陀絵は玉虫厨子-たまむしのずし-にも使われた中国渡来の日本最古の油絵技術で、紫外線に強く耐水性にも優れている。創建当時、すでに狩野派の秘伝に属していたらしいが、明治以降はまったくこれを復元できずにいたのだ。
吉原さんのこうした努力も、後継者が育たなければ再び歴史の闇-やみ-に沈みかねない。
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当時の姿がよみがえった東照宮御水舎の飛竜 |

本来の色やデザインを
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