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家光廟の「廟」とは、祖先の霊をまつったお堂。そして、「大猷院」とは、徳川3代将軍家光公が死後、後光明-ごこうみょう-天皇からたまわった法号。つまり、ここは徳川家光公の墓所なのである。
家光公は、祖父である家康公を心から深く尊敬し、慶安-けいあん-4(1651)年4月20日、江戸城で亡くなる間際、「死んだ後も東照大権現-とうしょうだいごんげん-(家康公のこと)にお仕えする」という遺言を残した。
その遺志を受けた4代将軍家綱公の命によって、家光公の死の翌年にあたる承応-じょうおう-元(1652)年2月16日に起工。わずか1年2か月後の承応2(1652)年4月4日に家光廟大猷院が完成した。
大棟梁-だいとうりょう-、平内大隅守応勝-へいのうちおおすみのかみまさかつ-が腕を振るった江戸時代初期の代表的建築である。建物は本殿、相の間-あいのま-、拝殿-はいでん-が国宝となっているほか、唐門-からもん-、夜叉門-やしゃもん-など重要文化財も多い。
家光公が東照宮を模倣することをはばかったので、東照宮とはまったく違う趣となっており、目立たない部分に技巧が凝らされているのが特徴。地形を利用した配置も、大猷院ならではである。
東照宮の建築が白と金を基調にして、黒の縁取りをしているのに対して、大猷院は金と黒が基本で、縁取りは赤。金箔-きんぱく-も東照宮より赤みがかったものを使用している。
大猷院の建物は東照宮に向いている。これは、家康公に対する家光公の強い思慕の念を示している。
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