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憾満ガ淵-かんまんがふち-(含満ガ淵)




(左.上)荒々しい流れを見せる景勝地、憾満ガ淵

  

 男体山-なんたいさん-から噴出した溶岩によってできた奇勝で、川岸に巨岩があって、岩上に晃海僧正-こうかいそうじょう-によって造立された不動明王-ふどうみょうおう-の石像が安置されていた。「かんまん」の名は、不動明王の真言-しんごん-(咒文-じゅもん-)の最後の句から出ている。それを漢字にあてて「憾満」と書いた。「含満」とも書くので「がんまん」と濁って発音されることが多いが、命名の由来を考えると「かんまん」と読むのが正しい。
 神橋-しんきょう-方面から大谷川-だいやがわ-沿いの道をたどり含満橋を渡ると、舗装の道が終わり駐車場に出る。そこから上流に向かって「ストーンパーク」と呼ばれる公園が広がり、その中央の道を奥にいくと、慈雲寺-じうんじ-と化地蔵-ばけじぞう-がある。そのあたりの大谷川の小渓谷が憾満ガ淵である。
 慈雲寺山門の手前には、大正天皇御製歌碑がある。日光田母沢御用邸記念公園に近いこのあたりを散策しながら詠んだ「衣手もしぶきにぬれて大谷川月夜涼しく岸づたひせり」の歌が刻まれている。
 慈雲寺は承応-じょうおう-3(1654)年に晃海僧正が創建したものだが、当時の建物は明治35(1902)年の洪水で流失した。現在の本堂は昭和48(1973)年に復元されたものである。
 本堂から少し上流にいくと、右手に霊庇閣-れいひかく-がある。これは慈雲寺創建のとき、晃海僧正が建立した護摩壇-ごまだん-で、対岸の不動明王の石像に向かって護摩供養がおこなわれた。これも当時の建物が流出したため、昭和46(1971)年に復元されたものである。
 この護摩壇の対岸の絶壁に、「かんまん」の梵字-ぼんじ-が刻まれている。この梵字には弘法大師-こうぼうだいし-が筆を投げて彫りつけたという伝説があり、「弘法の投筆-なげふで-」といわれている。しかし、実際のところは、この地を開いた晃海が山順僧正-さんじゅんそうじょう-の書した梵字を刻ませたものだ。晃海と空海-くうかい-(弘法大師)の発音が似ているため、誤って伝えられたのであろう。
 霊庇閣から奥には、約70体の地蔵群が1列に並んでいる。これは慈眼大師天海-じげんだいしてんかい-の門弟が彫ったもので、当時は100体ほどもあったという。しかし、これも明治35(1902)年の大洪水で何体かが流失している。このとき地蔵群の先頭に配置されていた「親地蔵」も流されてしまったが、川床に埋没していたその御首-おんくび-を地元の人が見つけ、現在は浄光寺-じょうこうじ-に安置している。
 この地蔵群には「化地蔵-ばけじぞう-」「並地蔵-ならびじぞう-」「百地蔵-ひゃくじぞう-」などの呼び名がある。化地蔵の名前の由来は、みんな似たような姿なので何回数えても数が合わないからという説と、仏教用語の「抜苦与楽-ばっくよらく-」の「抜苦」がつまって「化-ばけ-」となったという説がある。
 大谷川をはさんで、地蔵群の対岸は日光植物園である。春の新緑に始まり秋の紅葉、そして地蔵たちが雪をかぶるまで、美しい風光を楽しむことができる。



憾満ガ淵にある霊庇閣




慈雲寺と苔(こけ)むした化地蔵


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