湯 川
赤 沼
三本松
小田代ガ原
泉門池
小 滝
戦場ガ原のヤチボウズ
光徳牧場
光徳沼
涸 沼
戦場ガ原のミニ散策路
日光の花
冬の戦場ガ原ミニ散策路
-光徳クロスカントリースキーコース
戦場ガ原のイチゴ山上げ栽培
戦場ガ原
-せんじょうがはら-
の名前は、ここが神話の世界に登場する「戦場」だったことに由来する。「戦場ガ原神戦譚
-しんせんたん-
」
と呼ばれる物語を、まず紹介しよう。
≪事の起こりは中禅寺湖だった。これがどこの領土に属するか、下野
-しもつけ-
(栃木県)の二荒山
-ふたらさん-
(いまの男体山
-なんたいさん-
)の神と、上野
-こうずけ-
(群馬県)の赤城山
-あかぎさん-
の神の間で争いが起こった。そこで両神による神戦で雌雄を決することになったが、どうも二荒山の旗色がよくない。二荒山が鹿島大明神
-かしまだいみょうじん-
に相談すると、奥州にいる小野の猿丸
-さるまる-
という弓矢の名人を教えてくれた。猿丸は、二荒山の神の孫にあたった。
二荒山の神は見事な白鹿に化身
-けしん-
して奥州の阿津加志山
-あつかしさん-
に現れ、この鹿を追う猿丸を二荒山まで誘い出した。事情を知って助勢を承知した猿丸は、戦地となっている戦場ガ原に赴いた。なるほど、赤城山の化身ムカデの大群と、二荒山の化身ヘビの大群が、刺したりかんだり、絡み合って戦っていた。
ムカデ軍に目をこらすと、2本の角を持つ大ムカデが戦の指揮をとっていた。これぞ敵の大将とばかり、猿丸はその左の目を狙って矢を放つと、見事に的中。敵は見る間に撤退を始め、二荒山の勝利に終わった。≫
戦場ガ原開拓之碑
開墾に使ったのこぎり
このように魅力的な伝説に彩られた戦場ガ原は、標高1400メートルの高地に広がる400ヘクタールの湿原である。周囲は東の男体山をはじめ、太郎山
-たろうさん-
、山王帽子山
-さんのうぼうしやま-
、三岳
-みつだけ-
などに囲まれ、中禅寺湖のほうから湯元へ抜ける国道120号が貫通している。
2万年前の戦場ガ原は、日光火山群の噴火でせき止められた湖だったといわれる。しかし、乾燥化や土砂の流入、さらには男体山の噴火による軽石流が流れ込んで、いまの湿原の姿に変わっていったという。
低公害のハイブリッドバスが
赤沼〜千手ガ浜間を運行している
戦場ガ原の湿原は、オオアゼスゲ、ヌマガヤ、ワタスゲなどが生育する中間湿原がほとんどで、中央部の糠塚
-ぬかずか-
あたりにヒメミズゴケが多い高層湿原がわずかに分布している。そして湿原を囲むように、湯川と国道120号沿いには、カラマツ、ミズナラ、ハルニレ、ズミ、シラカンバなどの樹木が茂っている。
春の遅い戦場ガ原で高山植物の花
を楽しめるのは、だいたい6〜8月。クロミノウグイスカグラから始まって、ワタスゲ、ズミ、レ ンゲツツジ、イブキトラノオ、カラマツソウ、ノハナショウブ、ホザキシモツケと続く。
戦場ガ原は、野鳥の種類
が多いのでも有名である。「戦場ガ原自然研究路」を歩いているだけでも、ズミなどの林でキビタキやホオジロ、湿原のなかにはノビタキやホオアカ、また湯川沿いではキセキレイやカワガラス、そして森林地帯ではアカゲラ、シジュウカラ、ウグイスなどが見られる。いずれも、戦場ガ原で5〜7月ごろに繁殖する野鳥たちである。
こうした自然の姿とともに、戦場ガ原は開拓地としての側面も持っている。昭和21(1946)年に入植が始まり、現在、国道120号の東側約80ヘクタールが開墾され、ダイコンや高原野菜栽培、イチゴや花などの育苗で農業が営まれている。冬は氷点下20度を下回る日もある戦場ガ原で、生活している人々がいることも記憶しておきたい。
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