勝道上人銅像
三仏堂
護法天堂
鬼門除札
相輪とう
黒 門
鐘 楼
逍遙園・護摩堂
輪王寺宝物殿
輪王寺の舞楽装束
二つ堂
慈眼堂
長講会
開山堂
外山昆沙門堂
児玉堂
釈迦堂・殉死の墓
輪王寺の曼茶羅
輪王寺の伝統行事

●三仏堂-さんぶつどう-(大本堂-だいほんどう-
 

三仏堂の屋根に映る影が千手観音を思わせる(薪能の際に撮影)


 輪王寺には「輪王寺」という建物はない。日光山にある、仏教に関係するお寺やお堂などの建物をまとめて、輪王寺という。その中心が大本堂で、三仏堂と呼ばれている。三仏堂という呼び名の由来は、3体の本地仏-ほんじぶつ-をまつっていることによる。寺伝によれば、慈覚大師円仁-じかくだいしえんにん-が入山したときに、比叡山-ひえいざん-の根本中堂-こんぽんちゅうどう-を模して建立したと伝える。山岳信仰にもとづき、日光の三山つまり男体山-なんたいさん-、女峰山-にょほうさん-、太郎山-たろうさん-を神体とみて、その本地仏である千手観音-せんじゅかんのん-(男体山)、阿弥陀如来-あみだにょらい-(女峰山)、馬頭観音-ばとうかんのん-(太郎山)の三仏をまつった。
 現在、三仏堂で拝観できる本尊は江戸時代初期のもの。当時の優れた技法がうかがわれ、本邦屈指の木彫大座像仏といわれている。3体とも金色-こんじき-の寄木造り-よせぎづくり-で、台座から光背の頂まで約8メートルある。



三仏堂の本尊である木彫三仏座像。
左から馬頭観音座像、阿弥陀如来座像、千手観音座像

 
 三仏堂は創建以来、移築が繰り返された。創建当時は稲荷川-いなりがわ-河畔の滝尾神社-たきのおじんじゃ-近くだったが、仁治-にんじ-年間(1240〜1242年ころ)に鎌倉3代将軍実朝-さねとも-によって現在の東照宮の地に移された。その後、元和-げんな-3(1617)年の東照宮創建の折に、今の二荒山神社-ふたらさんじんじゃ-社務所の地にあり、現在のような大きな伽藍-がらん-になったのは、慶安3(1650)年の落成のときである。そして、明治4(1871)年の神仏分離の際に、今の場所に移されることになった。しかし、当時の輪王寺は財政が苦しく、解体して運んだだけだった。それを嘆いた明治天皇のおぼしめしによって再建できたという。
 現在の建物は、昭和29(1954)〜36(1961)年に大改修している。数少ない天台密教形式で、間口33.8メートル、奥行き21.2メートルと日光山でいちばん大きい。屋根は銅瓦ぶき、堂は総朱塗り、柱は漆塗りのケヤキ材。
 堂内には伝教大師-でんぎょうだいし-、慈恵大師-じえだいし-、慈眼大師-じげんだいし-の像もあり、また日光山祈祷-きとう-所では毎朝欠かさず日光伝来の護摩-ごま-が修-しゅ-されている。堂前の「金剛桜-こんごうざくら-」は天然記念物。


 


秋の紅葉に彩られた三仏堂。輪王寺の金堂にあたる



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