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輪王寺とは、お寺やお堂、さらに15の支院の総称で、勝道上人-しょうどうしょうにん-が天平神護-てんぴょうじんご-2(766)年、神橋-しんきょう-のそばに四本竜寺-しほんりゅうじ-を建立したのが始まり。山岳信仰の場として栄え、たくさんの行者-ぎょうじゃ-が修行に訪れた。平安時代の弘仁-こうにん-元(810)年、朝廷から一山-いっさん-の総号として満願寺-まんがんじ-の名をもらい、後に円仁-えんにん-が来山して天台宗となって、現在に至っている。鎌倉時代には、弁覚-べんがく-が光明院-こうみょういん-を創設して一山の本院とし、天皇家から門跡-もんぜき-を招く皇族座主の制度が始まった。しかし、安土桃山時代には小田原の北条氏に加担したため、豊臣秀吉に寺領を没収されて一時衰退した。
日光が盛んになったのは、江戸時代。慶長-けいちょう-18(1613)年、将軍の相談役・天海-てんかい-が貫主-かんす-となってからで、天海が東照宮を創建してから日光は一大聖地へと躍進した。そして、明暦-めいれき-元(1655)年に守澄法親王-しゅちょうほうしんのう-が輪王寺宮-りんのうじのみや-を称した。寺名の輪王寺はこれによる。

輪王寺に納められた宝物のひとつ「釈迦涅槃図」
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明治になると神仏分離令が出され、神と仏の区別がなかった輪王寺は窮地に立たされる。明治2(1869)年には輪王寺の門跡号が廃止されたため、古い呼び名の満願寺に戻っている。また、明治4(1871)年には日光山の神仏分離がおこなわれ、過去には109か寺あった寺が満願寺1か所に併合されてしまった。
これらの悲運を乗り越え、明治15(1882)年に一山15か院が復興、翌年には輪王寺、そして門跡呼称も復活する。1200年以上もの間、さまざまな形で信仰をはぐくんできた輪王寺は、1日では拝観しきれないほどの見どころと歴史がある。
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