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| ●日光再興の恩人、天海大僧正 |
戦国時代の混乱は、日光もその例外ではなく、日光は一時苦境に立たされる。その原因は、日光山衆徒が小田原の北条氏に加担したためで、小田原城を攻め落とした豊臣秀吉によって所領を没収されてしまう。
これを救ったのが、江戸時代に日光山の貫主-かんす-となった天海大僧正-てんかいだいそうじょう-(1536?〜1643、慈眼大師-じげんだいし-)で、日光再興の恩人である。100歳を超える長寿だった天海大僧正は、家康・秀忠-ひでただ-・家光-いえみつ-公の徳川三代の将軍に仕えたばかりか、日光東照宮の造営に強く影響を与えたといわれている。
ところで、真偽はともかく、日光には天海大僧正にまつわる興味深い言い伝えが残っている。実は、天海大僧正は明智光秀だったというのである。
本能寺で織田信長を死に追いやった明智光秀は死を逃れ、僧に姿を変えて天海大僧正になった。そして、日光に明智の名を残した。それが、眺望豊かな明智平-あけちだいら-の名前の由来だという。
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日光の恩人、天海大僧正の像
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日光山輪王寺の三仏堂
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