日光は「自然の冷蔵庫」
日光各地の特色
日光市街
中禅寺湖・男体山
戦場ガ原
湯元温泉
霧降高原
数多くの滝
野生の生き物たち
日光を開いた勝道上人
神仏習合とは
日光再興の恩人、天海大僧正
家康公の遺言と日光東照宮
家光廟大猷院

●日光を開いた勝道上人


 日光という未開の地を開き、ここを一大聖地に変えたのが、勝道上人(735〜817)である。
 勝道上人は日光のある下野国-しもつけのくに-(栃木県)の人で、明星天子-みょうじょうてんし-のお告げに導かれて、男体山(二荒山)に向かったと伝えられている。頂上を極めるまでには、多くの困難に出会ったが、天応-てんおう-2(782)年についに悲願を達成することができた。
 日光を彩る伝説の多くは、勝道上人の足跡や業績に由来しており、日光を理解するうえで、最も重要な人物である。



勝道上人の作と伝えられる千手観音

  
●神仏習合とは

 勝道上人が日光を開いて以来、日光はずっと神仏習合の時代が続いた。そして、日本では、高い山は古来から神でもあった。
 ゆえに、男体山は御神体(信仰の中心)であり、イコール大己貴命-おおなむちのみこと-であり、千手観音-せんじゅかんのん-でもある。同じように、女峰山-にょほうさん-も御神体で、田心姫命-たごりひめのみこと-であり、阿弥陀如来-あみだにょらい-でもある。さらに、太郎山-たろうさん-も御神体で、味耜高彦根命-あじすきたかひこねのみこと-であり、馬頭観音-ばとうかんのん-でもある。
 このように、いわば古来からの山岳信仰と神道、仏教の考え方が違和感なく同居していたのである。現代人には一見、複雑なように思えるが、日光の歴史を深く知るうえで欠かすことのできない知識である。
 こうした神仏習合のあり方は、明治元(1868)年の神仏分離令を境に改められ、日光もその例外ではなかった。明治4(1871)年に神仏分離がおこなわれ、一時は数多くの寺が併合されるなどした。

  


(社)日光観光協会
〒321-1404 栃木県日光市御幸町591日光郷土センター内
電話:0288-54-2496 FAX:0288-54-2495